三浦春馬さん 家族とのトラブルの記事を読んで思うこと

yahooニュースに、亡くなった三浦春馬さんは家族との金銭トラブルを抱えていた、とあった。

 

それが彼の死を急がせたのであればとても胸が痛い。

もし私が人生の先輩として彼が生きている間に話ができていたなら、

「今の辛い時期はいずれ時間とともに解決するよ。今は大変だけど開けない夜は無いよ」と伝えたい。

 

という私の母親も、彼の母親と同じようにお金を無心する親だからだ。

 

今でこそ母は年を取り、小さいながらもやっと店が安定してきて、彼氏と細々と暮らしており、お金を無心することはなくなった。

 

だが今から20年以上前は私も精神状態がおかしくなるぐらい母が嫌いだった。

 

母のことは今は好きでも嫌いでもない。

変わった人が自分の周りに居るなという、ある意味他人様的な感情を持っている。

 

母の幸せを願っている。

私に頼ってきてほしくない、このまま自活してほしいからだ。

 

 

私は3人兄妹の一番上だ。

 

母は私を20歳の時に産んだ。

 

話によると母は父との結婚を両親に反対された。

だが若いこともあり、そのまま駆け落ち的な感じで父と結婚した。

父は働かず毎日酒を飲んでいた。

 

子供(幼稚園ぐらい?)のころ母は夜働きに行き、代わりに父が家にいて

母が居なくなると酒とタバコを買って来いと言われて買いに行った記憶がある。

 

翌日母に、酒買って来たらダメって言ったでしょと怒られた。

でも買ってこないと虐待を受ける。

 

そんなこんなで母は父と別れた。

それ以来会っていない。

その後、父は義両親に引き取られアル中の更生施設に入ったらしい。

私が高校生の時に父が亡くなったのを知った。

それも債権者からの父の借金を払ってくれという督促状からだった。

 

母は夜働きに行ったスナックで知り合った人の愛人になった。

ある日突然その男が私たちの父親になった。

その男は家庭があったが、私たちの父親として住み着いた。

私が幼稚園から大学卒業するまで。

 

その男と母は商売を始めてバブルということもあり、店は儲かっていた。

だがバブルの時にさんざん贅沢な暮らしをしたため貯金が無く、バブルが弾けると生活はひっ迫した。

店の家賃や、マイホームの住宅ローンが払えなくなった。

私が大学生の時だ。

 

私は細々とアルバイトをしていたので、母がお金を貸してくれというようになった。

私はキャバクラで働くことにした。

 

どんどん要求金額が高くなる。

大学の学費を払いながら、母にもお金を渡していたがその時は不思議と辛いとは思わなかった。キャバクラで結構なお金を貰えてたからだ。

 

結局数年後、店もマイホームも売り、母はその男と別れた。

 

それからだ、私が精神的にも辛かったのは。

 

普通に正社員として採用された。

給料は手取りで13万円ぐらい。

 

貯金は無かった。口座に5000円があってやっとだった。

 

だが母はまた商売を始めると言ってそのための資金やら日々の生活費を要求してくる。

その時は離れて暮らしていた。

しょっちゅう仕事中に電話をしてくる。

出ないと出るまで電話してくる。

 

毎回電話のたびに言い争いになる。

 

電話が鳴るたびに、私は動悸・息切れが起こり、何も考えられなくなるぐらいだった。

あるときから電話に出ないようにした。

数日後、恨み的な文面の手紙が届いた。

今でもその手紙を持っている。

 

それからしばらくして、働いたお金がたまり母に仕送りをした。

その時始めた商売で母と今の彼氏は細々と生活している。

 

あれから20年、今はお金のことを言ってくることはなくなった。

私に訪れた平和の日常。このまま続きますように。

 

亡くなった三浦春馬さんと両親がどれぐらいの関係だったか、私よりもひどい経験をしたのか、大小はわからない。

 

だが、その渦中にいるときは死にたいぐらいの気持ちだった。

今は耐えてよかったと思っている。

 

もし同じような経験をしている人がいれば、今は大変だけどいつか時間が解決するからと伝えたい。